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台湾で20日まで行われていた野球のアジアシリーズはオーストラリアのキャンベラが初優勝を果たしました。地元台湾でも、日本でも、韓国でもない国の代表が優勝するというのは、大会として成熟しつつあることを証明できたかも知れませんね。決して、日本の代表である東北楽天ゴールデンイーグルスが準決勝で負けたことは歴史的な悲劇だと悲観することはないでしょう。

約9ヶ月に及んだ野球の「グラウンド上のシーズン」はこれで終わり。ここからはグラウンドの外で動き回るシーズンに移ります。契約更改や自主トレなど来年に向けての準備をする時期ともいえます。さて、グラウンド上のシーズン、特に公式戦が始まってからはほぼ毎日のように試合が行われ、そして日本シリーズ、アジアシリーズという風に日程が進んでいきます。いわば、1本道型のカレンダーです。それに比べてサッカーは、土日のどちらかでJリーグなどの国内リーグをやって、水曜日か火曜日にACLやナビスコカップのようなカップ戦をやる、並列型のカレンダーになります。1本道シーズンを戦い続けた末にアジアシリーズを戦うわけですから、イーグルスの選手たちの体力消耗の度合いはかなりのものだったかもしれません。しかし、野球のカレンダーの構造上、サッカーのようにシーズンゲームとアジアシリーズを平行してやるのは現状として難しいので、この現実を受け止めた上で闘わなければなりません。

現実は現実。でも、サッカーのACLのようにアジアのプロ野球チームがシーズンの最終目標として掲げるような大会に、アジアシリーズがなってほしいという願望もあります。理想的な運営システムを見出すのには時間がかかるかもしれませんが、日本、台湾、韓国以外のチームが優勝しても驚かないようなアジアシリーズが成長して欲しいと思っています。その日が来ることを期待しつつ、また次回です。
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J1の2シーズン制が白紙に戻るかもしれないという話がありましたが、反対活動をし続けたサポーターたちの怒りを増幅させるような結論をJリーグは導いてしまったようです。そのあたりは後に触れるとして、誰も知らないかもしれませんが、来年、なでしこリーグが一足早くポストシーズン制をとることになりました。

来年のなでしこリーグのチーム数は10チームで変わりありませんが、試合数が変わるんです。まず、10チームでホーム&アウェイの18試合を戦います。そして、6位までになれば優勝を争うポストシーズン、それより下ならば降格チームを決める「ビリ決定戦」へと進みます。こちらもホーム&アウェイでやるので上なら10試合、下なら6試合やることになります。また、最初の18試合で1位になったチームも「レギュラーシーズン優勝」として表彰するのも特徴でしょう。最初の18試合でビリになったとしても最後の6試合で巻き返せれば降格は免れるわけだし、レギュラーシーズン優勝だったとしても失速してしまえばリーグチャンピオンになれないわけです。強すぎるINACの独走が簡単に出来ないようにするためだろうという見方をする人もいるようですが、単純にタイトルを得るチャンスも降格するピンチを平等に与える制度ができたことはなでしこリーグ全体の活性化につながってくれると期待しています。

それを踏まえてJリーグの話です。2シーズン制はやはりやることで話を進めていくようです。前期後期の優勝が出来なくても年間上位3位にはいればいいという救済措置があるようですが、「負けるが勝ち」で優位な条件でプレーオフに進めるかもしれないことを考えたら再検討の余地が必要だといって差し戻されました。ではどうするか、前後期優勝と年間3位以内のチームが重複したら繰上げをしないという追加ルールを加えただけなんです。2シーズン制ありきで考えてこういう結論を導いたことに怒りを感じるサポーターは少なくないでしょうね。女子みたいにチャンピオンを決定するポストシーズンと降格チームを決めるビリ決定シーズンを併せ持つような形だったらば多少違うでしょうけど。どうでしょう?
反対派はどういう態度をとるんでしょう? あくまで白紙撤回を求めるのか? それとも一度再来年の状況を見守るのか? 気をつけてみたいですね。

それでは、また次回です。
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3日まで行われたプロ野球の日本シリーズ。東北楽天が4勝3敗で巨人を下し、球団創設9年目にして初の日本一を勝ち取りました。なんだか、いろいろな意味で今年も面白くなりました。特に今年は数字と数字が戦うシリーズでなく、人と人のつながりがクローズアップされたシリーズかもしれません。

シリーズ終了翌日の4日にNHKラジオで放送された「語りの劇場グッドライフ」でいくつかのエピソードが紹介されていました。中でも印象的だったのは楽天・星野監督と巨人・原監督のつながり。2003年、「読売グループ内の人事異動」とする原監督の退任を快く思わなかった当時阪神の監督だった星野さんが、シーズン最後の対戦を終え、原さんに「また戻ってこい!」と声をかけながら花束を渡したシーンからの因縁が多く語られていましたが、実は川上哲治さんとのつながりもあったようなんです。9月のリーグ優勝決定直後に星野さんのもとに川上さんから祝福と励ましのはがきが贈られていたそうです。そして決意を新たにポストシーズンに向かったというわけです。原さんは巨人軍4番打者の先輩としてあらゆるアドバイスをもらってきました。なかでもじきじきに伝授されたカーブマシンを使ったマシン打撃の練習は原さんを何度も不振から救ったといいます。お互いに精一杯の戦いを演じたシリーズを川上さんは嬉々として楽しんだかもしれませんね。

田中将大投手のポストシーズンでの起用法について賛否両論ありました。私、リーグ優勝がかかる局面での胴上げ投手としての起用については否定的になってしまいました。先発ローテの投手をわざわざ9回にもってきてねじ伏せるなんてことは相手を馬鹿にしていると思ったからです。しかし、これってよくよく考えてみると、最後まで手を抜かないことだったんですよね。ポストシーズンに入ってからだんだん理解できるようになりました。
野球の季節はもうすぐ終わりですが、こんな高まりを迎えられたのは本当にいい季節でした。

それでは、また次回です。

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選手としては日本プロ野球初の2000本安打を達成した人として、監督としては史上最多11回の日本一を経験した人として歴史に名を残す川上哲治さんが28日に93歳で亡くなりました。公表されたのは密葬が終わってからの30日、日本シリーズの真っ最中でしたが、このニュースのインパクトは今の日本シリーズの何倍もあるからか、東京中日スポーツ、デイリースポーツでさえ、川上さんの死を大きく取上げました。

何に驚いたかって、93歳の大往生だったということ。プロ野球の関係者、しかもものすごい実績を残してここまで長生きした人って多分初めてではないでしょうか? 60歳になる前にもうユニフォームを脱いでプレッシャーだらけの世界から解放されたからそうなったのではないかと思いますが、この年齢までよくぞ野球に心血を注がれたと思われた人も多いでしょう。

いわゆるアラフォーの私ですが、私の中の川上さんのイメージといえば、「NHK少年野球教室」の塾頭先生的な役をしていた人ですね。10連覇を達成できずにユニフォームを脱ぎ、55歳だった1975年にNHKと日刊スポーツで解説の仕事を始めた川上さん。夏休みあたりに川上さんはじめ、その時々のNHKのプロ野球解説者が集まって中学生のために野球の指導をする短期集中シリーズの番組で、川上さんが指導に当たらなくても、各回のエンディングで暖かくまた厳しさも漂うコメントをしていたのが印象的なんです。この流れなのか、全中(中学版インターハイ)の野球の決勝を毎年にように解説をしていた時期もありましたね。

リアルタイムで活躍を見ていたわけでないのでプレーや采配への言及は控えますが、野球にすべてをかけた人生だったことは間違いないでしょう。ご冥福をお祈りします。

Jリーグ2シーズン制が白紙撤回になる可能性が浮上しているそうですが、このことについては別の機会に。それでは、また次回です。
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