あまりチェックしていないせいかもしれませんが、あっという間にヨーロッパのサッカーシーズンが終わりを迎えました。UEFAチャンピオンズリーグが23日に終わりバイエルンミュンヘン(ドイツ)が優勝。UEFAカップ改めヨーロッパリーグも21日に幕を下ろしセビージャ(スペイン)が制しました。新型コロナウイルス感染拡大の影響でシーズン終盤は慌ただしいものになりましたが、フランスリーグアンが打ち切りになった以外はヨーロッパ主要国のリーグはほとんど消化できたそうです。

セビージャがヨーロッパリーグを制した時の写真を見ると、いつものように監督を選手が胴上げしているんです。どうしてなのかわかりませんが、スペインとイタリアでは日本のように胴上げが習慣になっているんです。リーグ優勝や上位リーグ残留、昇格など嬉しい時に選手や関係者が監督を胴上げするシーンは私の中の楽しみなんですが、今シーズンは新型コロナの影響で難しいのではないかと思っていました。でも、セビージャもリーガエスパニョーラ(ラ・リーガ)で優勝したレアルマドリードも普通に胴上げしていたんです。本当は自粛するように言われていても喜びあまってやってしまったのかもしれませんが、何となく安心してしまいました。ヨーロッパでサッカーが止まっていないことの証なのかなとも思ったし。

日本ではいろいろなスポーツで2018年にヒットした映画「カメラを止めるな!」になぞらえた「○○(種目名)を止めるな!」のスローガンが掲げられ、ソフト・ハードの両面にわたってスポーツができる環境を守ろうという動きがありました。海外でも同じような動きがあったようで、特にドイツではメルケル首相が先頭に立って「サッカーを止めるな!」のムーブメントが起きたとか。ブンデスリーガの選手や関係者が新型コロナに感染して活動が止まらないようにPCR検査をこまめにできるようにするなどの取り計らいをしていたそうです。

日本では11月にプロ野球、12月にJリーグで胴上げの季節を迎えますが、どういう風景がみられるでしょうか。安心して見られる様子になればいいですが。では、また次回です。
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17日まで行われた2020年甲子園高校野球交流試合。センバツ高校野球に出場するはずだった32校が1試合ずつ戦い滞りなく終わりました。言ってしまえばオープン戦のようなものではありましたが、いつもの夏が戻った印象を持った方が多いのではないでしょうか。

関係者と中継クルー、取材メディアしか立ち入れなかったためスタンドにいたのは500~600人でしたが、拍手や自然に沸く歓声は数万人集まる普段の高校野球と変わらない迫力があった気がします。甲子園での事前練習ができないし、都道府県大会をこなした後といっても実戦の数は普段よりも少ないという決していいとは言えない条件の元ではありますが、熱のこもったプレーも見られました。とにかく、普通の夏を取り戻すことができたと実感できた時間だったかもしれません。

プレーそのものの楽しみもありましたが「無観客」だから感じられる音も楽しめました。高校野球独特の試合後の挨拶というのが印象的でした。普通ならアンパイアの「礼!」と選手の「ありがとうございました」くらいしか聞こえませんが、アンパイアが「礼!」という前に「終わります」というのを今回初めて知りました。他にもアンパイアが選手にいろいろな声をかけているのもわかりました。内野ゴロなどで明らかにアウトになったバッターには「You Are Out」ではなく「He is Out」というそうですが、ランナーがどこかの塁にいるような場合は「バッターアウト」と呼ぶのも今まで気づきませんでした。歓声やブラスバンドの音色こそ高校野球という人もいるかもしれませんが、普段なかなか気づかない声を体感できるのもいい経験かもしれません。

では、また次回です。

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先週に続いて大相撲7月場所で30場所ぶりの優勝を果たした照ノ富士の話を。現在28歳の照ノ富士は鳥取城北高校を卒業してプロ入りしたのでプロ10年目ですが、何度となく土俵人生の転機を迎えているようなんです。

最初の転機は部屋の解散。高校卒業後まず56代横綱若乃花(2代目)の間垣部屋に入門し、2011年5月の技量審査場所(夏場所の代替開催)で初土俵。彼を入門させたくても外国出身者の入門受け入れ規制で泣く泣く諦めた部屋の師匠もいたというほどの有望株といわれていました。順調に番付を上げていきますが師匠の体調が悪化したため2013年3月に部屋は解散。63代横綱旭富士の伊勢ケ浜部屋が当時所属していた力士たちを受け入れました。間垣部屋時代には若三勝と名乗っていましたが、伊勢ケ浜部屋に移ったのに合わせて現在の照ノ富士を名乗るようになりました。照ノ富士の「照」は現在から数えて2代前の師匠だった38代横綱照国(1代前の師匠は元大関清国)、「富士」は現在の師匠の旭富士からそれぞれとったというのですから期待はかなりのものだったかもしれません。その期待に見事にこたえて移籍後2場所続けて勝ち越しを決め関取の座を勝ち取りました。一説には、間垣部屋時代は師匠が満足に指導できずちゃんこにも事欠いてしまい、あまり環境が良くなかったといわれていました。しかし、伊勢ケ浜部屋に移って稽古環境が一気に改善して番付を一足飛びに駆け上がれるようになったといいます。

次の転機は大関からの転落。2015年夏場所の初優勝で大関昇進しましたが、ひざや肩のケガが重なりカド番を何度も経験。ついには2017年秋場所限りで大関から転落。糖尿病も発覚し番付は更に下がっていきます。その間には当時の横綱・日馬富士が巡業先の鳥取県で幕内力士に暴行をふるった場に同席していたために相撲協会から厳重注意を受けたこともありました。大関から転落した力士は、大関陥落が確定してすぐとか幕内から十両に転落した時に引退を決断するものです。しかし、照ノ富士は大関陥落が25歳の時だったこともあってか、ひざと糖尿病の治療を優先させることを師匠とともに決断。序二段からの土俵復帰に至ったわけです。その後は…といえば、もうお分かりの通り。勝ち越しを続けて着々と番付を戻していきました。「2015年の優勝はイケイケだった。でも、今は周りをよく見て1つ1つ大事にするようになった」と振り返るように努力を重ねて優勝にまで至りました。

年齢的に可能だったといえばそれまでかもしれません。人それぞれの引き際の考え方もあるかもしれません。でも、挽回が叶えば進化へのターニングポイントにすることもできることを証明できたともかんがえられるのではないでしょうか?

ではまた次回です。
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新型コロナウイルス感染拡大の影響で2週間延期されたため、異例の月またぎ開催となった大相撲7月場所。2日に千秋楽を迎え、照ノ富士が13勝2敗で30場所ぶり2度目の優勝を果たしました。5年・30場所ぶりの優勝は、2度目の平幕優勝を果たした1998年九州場所の琴錦の7年・43場所に次ぐ2番目のブランク。大関から一度転落した力士の幕内優勝は1976年秋場所の魁傑以来44年ぶり2例目。大関から序二段まで転落した力士が幕内に戻ること自体史上初ですから、そういう力士の優勝は当然初のケースです。プロ野球の千葉ロッテ、Jリーグの柏レイソルに続く「史上最大の下剋上」になりました。

大関の場合、2場所連続で負け越せば次の場所は関脇に転落。関脇になった場所で10勝以上しないと大関に戻ることはできず、場所数を重ねていくと大関復帰へのハードルは高くなります。豪栄道のように関脇に転落したら即引退とか、小錦や霧島のように幕内の座を守れなければ引退という選択をする人が多い中、照ノ富士はケガや糖尿病の治療を優先させたため序二段での土俵復帰となったわけです。各メディアで取り上げられている話ですが、師匠の伊勢ケ浜親方は照ノ富士が5度か6度引退を申し出ても「けがや病気を治してからこの先のことは考えよう」と説得し、それに照ノ富士が応じて治療やリハビリに取り組んだというわけです。

それだけでも大変なことだろうに、もっと大変な苦難を乗り越えたというんです。週刊大衆7月20日発売号の独占インタビューで照ノ富士本人が「主治医から『何もしなければ余命2年だった』と言われた」と告白しています。けがに追い打ちをかけるように糖尿病が襲い、手足に力が入らない状態が続いた中でこの余命宣告があったというんです。膝のケガを治すだけでも大変なのに、糖尿病の治療も絡むとなおさらのこと。しかも余命宣告を受けるところまでに至ったというのですから、まさに史上最大の下剋上と言えるのではないでしょうか。まだ28歳ですから挽回できる時間は十分あります。どこまで番付を戻していくのかをこの先楽しみにします。

では、また次回です。
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