「昭和は遠くになりにけり」うまくいったものです。
ここ数日で立て続けに昭和の野球史を彩った方が二人なくなりました。
まずは、2リーグ分立直後の巨人第2期黄金時代を支え、
中日監督として巨人の第3期黄金時代ともいうべき
V9に終止符を打ったウォーリー与那嶺さん。
私はリアルタイムで与那嶺という名前にふれたことはありませんが、
ある歌で与那嶺という名前に触れることになります。
「僕もあなたも願ってる 
祈る気持ちで待っている
それは一言 優勝だ!
与那嶺監督の胴上げだ!」
板東英二さんが歌っていた「燃えよ! ドラゴンズ」の一節です。
アニメ・タイムボカンシリーズなどのテーマソングを多く手がけた
山本正之さんがメジャーデビューのきっかけを掴んだ曲だといいます。
最近はアニソン界のアニキこと水木一郎さんが
「それは一言日本一 オレ流監督の胴上げだ!」と歌っていますよね。
暑苦しいくらいに燃える気持ちでV9を続ける巨人に、
首位打者などのタイトルを味方同士にも関わらず
毎年のように争った川上哲治監督に立ち向かうウォーリーさんへの当時の想いが
ひしひしと伝わってきたような気がします。
そして、今の今まで与那嶺さんの思いが語り継がれる言葉もあります。
「野球はガッツだよ」。
熱い気持ちが端的に現れています。
セーフティーバントにホームスチール、かなり激しいスライディング・・・。
「野球道」の引き出しでは見つけられないような
アグレッシブなプレーというものが持ち味だった
与那嶺さんの人柄そのものといえるかもしれません。
そのフレーズから、名古屋のとあるラジオ局では
ナイター中継のタイトルにガッツを入れているそうです。

もう一人は尾藤公(ただし)さん。
和歌山県の箕島高校で春夏合わせて4回甲子園で優勝した名将です。
尾藤さんが特に活躍していた頃から考えると、
70歳代後半か80歳代位になっているかなと想ったら
68歳でお亡くなりになったそうです。
つまり、30代から40代くらいでキャリアの頂点を
ある意味極めたといっても妥当かもしれません。
それだからなんでしょうか? 
彼の代名詞で「尾藤スマイル」という言葉をここ数日よく見かけるんです。
エラーをしたとしても柔らかな表情でベンチへ迎え入れるというんです。
選手に近い年齢層でわかりあえることがたくさんあるからこそ
できることだったのかなって想います。
尾藤さんもウォーリーさん同様
リアルタイムに彼の名前に触れたことがありません。
強いていえば、民放のBSデジタルなどで放送される
高校野球中継で解説されているところをみていた程度です。
その中継での尾藤さんの印象というのは
批判的なコメントはほとんど聞かれることなく、
柔らかい口調ではなしている方という感じです。
そんな尾藤さんの声がもう聞けないんですよね。

昭和の野球史に大きな足跡を残したお二人のご冥福をお祈りします。

それでは、また次回です。
[Web全体に公開]
この記事の前後の記事(新着順)
・当たり前という幸せ
2011年03月17日  [Web全体に公開]
【閲覧中】星になった野球人
2011年03月10日  [Web全体に公開]
・いろいろあっていいでしょう
2011年03月03日  [Web全体に公開]
・主張すること 自信を持つこと
2011年02月24日  [Web全体に公開]

0件のコメント