大相撲夏場所は旭天鵬の初優勝で幕を閉じました。
大相撲にはメジャーリーグのように「近代」と「近代以前」に記録を分けて集計する考え方がありますが(大相撲では優勝額の授与が始まった1909年を近代大相撲最初の年と考える説と現在の日本相撲協会が設立された1927年を近代大相撲最初の年と考える説があります)、旭天鵬は近代の大相撲では最年長の優勝、最年長の初優勝、初土俵から最も時間がかかった初優勝ということで、歴史に残る初優勝となりました。

大逆転劇でもあった今場所の優勝。普通ならば1敗の稀勢の里が星の差2つつけてリードした展開でしたから、「優勝は時間の問題」とのんびり構えていました。しかし、稀勢の里は最後の4日間1勝3敗とある意味歴史に残る大失速を演じました。このおかげで優勝の可能性が残る力士の数が最大12人という超激戦になったわけです。そして、千秋楽に6人による変則トーナメント(1回戦は普通に1対1の勝負。勝ち残った3人で巴戦)で優勝を決める可能性を残す展開となりました。そんな中で存在感を示したのが横綱白鵬ではないでしょうか。12日目、8勝4敗でやっと勝ち越しという不調振りが目立ちましたが、大関との直接対決が組まれるようになる場所の後半で調子を上げたのはさすが横綱。そして、旭天鵬の優勝が決まったところで自ら優勝パレードで優勝旗を持つ役を買って出たというのも素敵な話です。日本とモンゴルの国交が樹立されて40年、旭天鵬らモンゴル出身者が日本の土俵に上がり始めて20年とモンゴル的にはメモリアルな年だったということで、白鵬も気持ちが高まってきたんでしょうね。

旭天鵬らモンゴル出身力士がデビューする少し前からモンゴルでは日本の大相撲が生中継されていたそうです。それを見てモンゴルの若者たちは日本の相撲に憧れを抱き、旭天鵬、旭鷲山の活躍でその憧れが増幅してきたんですよね。野茂やイチロー、ゴジラ松井の活躍でメジャーリーグに対する憧れを抱いた日本の野球少年に通ずるところがあるのでしょう。旭天鵬の優勝と言うのは、メジャーリーグで言えば野茂のノーヒットノーランみたいな快挙というか名誉。これをまたきっかけに旭天鵬には鉄人振りを発揮して欲しいですね。

それでは、また次回です。
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