新型コロナウイルス感染拡大の影響で2週間延期されたため、異例の月またぎ開催となった大相撲7月場所。2日に千秋楽を迎え、照ノ富士が13勝2敗で30場所ぶり2度目の優勝を果たしました。5年・30場所ぶりの優勝は、2度目の平幕優勝を果たした1998年九州場所の琴錦の7年・43場所に次ぐ2番目のブランク。大関から一度転落した力士の幕内優勝は1976年秋場所の魁傑以来44年ぶり2例目。大関から序二段まで転落した力士が幕内に戻ること自体史上初ですから、そういう力士の優勝は当然初のケースです。プロ野球の千葉ロッテ、Jリーグの柏レイソルに続く「史上最大の下剋上」になりました。

大関の場合、2場所連続で負け越せば次の場所は関脇に転落。関脇になった場所で10勝以上しないと大関に戻ることはできず、場所数を重ねていくと大関復帰へのハードルは高くなります。豪栄道のように関脇に転落したら即引退とか、小錦や霧島のように幕内の座を守れなければ引退という選択をする人が多い中、照ノ富士はケガや糖尿病の治療を優先させたため序二段での土俵復帰となったわけです。各メディアで取り上げられている話ですが、師匠の伊勢ケ浜親方は照ノ富士が5度か6度引退を申し出ても「けがや病気を治してからこの先のことは考えよう」と説得し、それに照ノ富士が応じて治療やリハビリに取り組んだというわけです。

それだけでも大変なことだろうに、もっと大変な苦難を乗り越えたというんです。週刊大衆7月20日発売号の独占インタビューで照ノ富士本人が「主治医から『何もしなければ余命2年だった』と言われた」と告白しています。けがに追い打ちをかけるように糖尿病が襲い、手足に力が入らない状態が続いた中でこの余命宣告があったというんです。膝のケガを治すだけでも大変なのに、糖尿病の治療も絡むとなおさらのこと。しかも余命宣告を受けるところまでに至ったというのですから、まさに史上最大の下剋上と言えるのではないでしょうか。まだ28歳ですから挽回できる時間は十分あります。どこまで番付を戻していくのかをこの先楽しみにします。

では、また次回です。
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