25日、世間があっと驚く卒業宣言がありました。
AKB48の前田敦子さんがコンサート最終日に自ら切り出しての「卒業宣言」です。卒業宣言は25日の夜ということで、報道が本格化したのは翌日の26日。東京のスポーツ紙6紙中4紙がこの話題を1面にしているわけですから、それだけ衝撃的なものだったといえるのでしょう(トーチュウはアロンソのF1マレーシアGP優勝、デイリーは阪神・金本のマリナーズとの親善試合での特大アーチ)。

あっちゃんの卒業を知ったのは当日の夜10時くらい。Yahooトピックスの一番下の段に見出しがあったことに気づきました。そのときには速報を目にした程度だったので「そんなことがあったんだ」くらいにしか感じませんでしたが、翌朝以降のスポーツ紙やワイドショーで詳細が伝えられるようになると「すごいことなんだ」って思うようになって来ました。14歳からAKBの中心を担い、そして「AKBといえばあっちゃん」というイメージを日本中に植えつけたあっちゃんがAKBを離れる決断をしたわけですから。

中野美奈子さんみたいに「引退」するわけではないのに、このニュースに接するうちに「何でそういう決断を?」という関心を持つようになってきました。そこで、日刊スポーツの深層探求連載を見てみましたが、わかったことと言えば、あっちゃんのまじめさゆえの決断だったと言うこと。あっちゃんは絶対的なエースと言われる一方で憎まれる存在でもあった。「神7」と言われる存在でもそういう存在はいないでしょう。もっと言ってしまえば、過去にこんな二律背反を併せ持ってしまうようなアイドルはいなかったのではないかと思います。正負両方の重圧を心身両面で受け止め続けていったあっちゃんは時に倒れてしまったこともあります。AKBのほかのメンバーも倒れてしまったことはありますが、あっちゃんが他より多かったような気もします。それでも重圧から逃げ出すことなく、気丈にセンターを守り続けたことは大変なことだったでしょう。ただ、そういう自分が他のメンバーにとって高い壁になっていることに気づいたことに悩んでいたことが「私のことが嫌いでもAKBを嫌いにならないで」と言う言葉になり、卒業につながっていくような気がします。別の報道で「総選挙恐怖症」といって、この重圧から逃げたくなったから卒業を決断したという見方を示していましたが、それは違うかと思います。

いつ卒業して、その後どうするつもりかはまだハッキリしていないようですが、今回の選択が間違っていないことを時間をかけてでも証明して欲しいものです。

それでは、また次回です。
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