22日まで行われた大相撲名古屋場所で関脇・御嶽海が記録づくめの初優勝を果たしました。御嶽海個人のことを考えると今年の初場所で優勝した栃ノ心に先を越されたような感がありますが、プロ入りから3年半しか経っていないのにそう言われることは逆に凄いとも思います。

さて、御嶽海の優勝に関して次のようなデータが並べられています。
・プロ入り3年半21場所での初優勝は6場所制施行後では3番目の速さ
・出羽海部屋所属力士の優勝は38年ぶり50度目(1909年6月以降の近代相撲史上2部屋目)
・長野出身力士の優勝は近代相撲で初、それ以前では雷電が最後(28回目)に優勝した1810年以来208年ぶり
近代相撲以前のデータを比較する際、最高成績のことを「優勝相当成績」という言い方をしていますが、私はこれまでウィキペディアくらいでしかこの言い回しを見たことありませんでした。でもこの表現を新聞で見るとは驚きです。しかも比較の相手が伝説の大力士と言われる雷電だというんだからなおさらです。もしも9月の秋場所で大関昇進を決めるようなら、長野県出身の大関も雷電以来なんてことになるでしょうからまた近代相撲史上初の記録が書き加えられるかもしれません。それに、出羽海部屋の優勝が50回という記録も歴史を感じます。近代相撲史上最多の優勝回数を誇る九重部屋は北の富士、千代の富士、北勝海、千代大海の4人が1967年から99年までの32年間で52回優勝していますが出羽海部屋は1910年に横綱常陸山が優勝してから80年に三重ノ海が優勝するまでの70年間で49回。これにも歴史を感じます。しかも、常陸山は近代相撲以前にも6度優勝しているというんです。なおさらです。

以前書いたかと思いますが、メジャーリーグではルールの変化などを勘案して近代野球以前・以後で統計が分けられています。イチロー選手がヒットのメジャー記録を立て続けに塗り替えた時期に「近代野球以前では誰々以来百何年ぶり」という表現がニュースや新聞に踊っていました。ただ、メジャーリーグは近代以前から数えても150年ちょっとの統計での話。大相撲は相撲協会での定義上、旧両国国技館が開設された1909年6月から近代相撲としていますが、それ以前の記録は1761年から残っているため雷電以来208年ぶりなんて話になるわけです。欧米のスポーツでこんな昔からの記録が残っているのは多分イギリスの競馬くらいでしょう。

余談ですが、あまりに強すぎるからと雷電だけ張り手禁止にしたと言われる伝説がありますが、現代のスポーツロビイスト達がやるルールの駆け引きみたいな雰囲気を感じます。

では、また次回です。
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