27日夜、「ちびまる子ちゃん」で有名な漫画家のさくらももこさんが15日に乳がんで亡くなったことがプロダクションの公式サイトで公表されました。平成を象徴するクリエイターがこの世を去るというニュース自体日本中に衝撃を与えましたが、とりわけサッカー界がこの訃報に反応をしているようにみえます。

「ちびまる子ちゃん」の舞台でもあるさくらさんの故郷は、埼玉県の浦和などと並び称されるサッカーどころの静岡県の清水。そういう土地柄もあってか地元のJクラブ清水エスパルスを応援していたそうで、2012年にはクラブ創設20年のお祝いメッセージを贈っていたとか。そして訃報が公表された27日にはクラブの公式サイトにお悔やみのコメントが掲載され、29日のJ1第18節・横浜Fマリノス戦(天候不良で延期になった試合)はアウェイ戦ながら選手達は喪章をつけてプレーし、サポーターはちびまる子ちゃんのイラストが入ったゲーフラを掲げたというんです。

一方、実際にさくらさんの小学校の同級生で、モデルとなったキャラクターがアニメに登場したFC東京の長谷川健太監督はクラブのツイッターでお悔やみのコメントを公表しました。逆に、長谷川監督がガンバ大阪の監督として2013年に国内タイトルを総なめにした時にはさくらさんからお祝いのメッセージが届けられたとか。そんな中長谷川監督が、自身の少年時代をモデルにした作品をさくらさんが描くまでの経緯を30日のスポニチ紙面で明かしました。「80年代の終わりに当時所属していたチームの寮にさくらさんから『漫画に描いていいですか?』と電話があり、『俺で良ければ』と快諾した」とか。長谷川監督は更に「みつや(アニメでは『みまつや』となっていた駄菓子屋)は実際にあったし、たまちゃんもハマジもいた。清水ではサッカーよりさくらももこの方が有名だよ」と懐かしんでいたそうです。

Jリーグ誕生25年という節目の年を迎えたからか、本当に人々の生活にJリーグは浸透してきたなと実感しています。この訃報を受けての反応もそうですし、2月に急死した大杉漣さんへのJ2徳島ヴォルティスの反応でも実感しました。急死から1週間も経たないうちに行われたホーム開幕戦で記帳所を設けたり試合前に選手・観衆で黙祷を捧げたりして、チームの発展に貢献した元選手や監督経験者でないサポーターの死を悼んだんです。著名人とはいえサポーターへこういう反応を示したのは恐らくJリーグで初めてだったかと。実感を得たきっかけとしてはこういうことを挙げるのは不謹慎かもしれませんが、Jリーグが国民に本当に浸透していったと思ったのは確かです。「100年構想」を掲げるJリーグがNPBを超えたと言われる日は来ないと言い切ることは難しいかもしれません。

では、また次回です。
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