8日にニッポン放送のアナウンサーとして60年代後半から90年代前半にかけて活躍した深沢弘さんが85歳で亡くなりました。訃報が伝えられた直後からニッポン放送では、局内のアーカイブスに保存されているプロ野球中継の音声から深沢さんが実況したシーンを1日1-2本程度ピックアップして放送したり追悼番組を放送したりして名物アナウンサーとの別れを惜しみました。

誤解を恐れずに言うならば、会社の発展に多大な貢献を果たしたとはいえ、いち社員の訃報に対してここまで放送に時間を割いたなんて記憶にありません。去年1月に文化放送の現職アナウンサーだった松島茂さんが亡くなったときは同僚のアナウンサーたちが担当番組で追悼コメントを送り、お悔やみの記帳についてのPRをするだけで期間は1週間程度。それだけの時間でも別れを惜しむ気持ちは伝わっていました。深沢さんの場合は追悼コーナーや特番を編成する力の入れよう。最大限の敬意を表しているのかなと思いました。もしかしたら、この先こういう送られ方をする人はいないかもしれません。

深沢さんはニッポン放送のプロ野球中継の骨組みを作り上げた人という印象があります。試合が動いたことをリスナーにわかりやすく伝えるために得点が入ったときやホームランを誰かが打った時にファンファーレを流すことを提案したと聞いたことあります。それに、この解説者の声が聞こえたらニッポン放送の中継だとわかるようにするため専属の解説者として関根潤三さんを迎え、深沢さんとのコンビで存在感をアピールさせたなんて戦略もありました。そして、「ベンチがアホだから野球をやっていられない」という言葉を遺して引退したといわれる江本孟紀さんをニッポン放送の解説者に迎えた人こそが深沢さんでした。現役時代の長嶋茂雄さんの自宅での自主練習を深夜まで手伝っていたという「伝説」の持ち主でもあるそう。

スポーツジャーナリストの生島淳さんは「テレビのプロ野球中継が地上波だけだったころ、テレビ中継終了後に深沢さんと関根さんのコンビで放送されるニッポン放送の中継で試合の続きを聞くのが楽しみだった」とラジオ番組で話していました。そういうファンはきっとたくさんいるでしょう。ラジオで楽しくプロ野球を聞けるのは深沢さんのおかげ。その気持ちを忘れずにスマホのテレビでなく出先ではラジオで野球を聞き続けたいですね。では、また次回です。

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